Vocabulary kanji grammar reading N1-3
問題1 ___の読み方として最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
彼女は、スポーツジムに通い、身体を鍛えた。
死因を調べるため、遺体を解剖した。
日本の建物には激しい耐震基準が設けられている。
彼は、模範的な学生です。
この欄には病歴の有無をお書きください。
彼の作品がアメリカ文学の影響を受けていることは否めない。
問題2 ( )に入れるのに最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
この製品は、「CO2
の削減 」という点に( )して、開発されました。
私は、恋愛小説のような( )の本は読んだことがありません。
半年後の開催を前に、オリンピックの準備が( )進められている。
新しく来たコーチに才能を( )、彼は国家代表の選手になった。
予想以上の( )成績を収めて、選手団が帰国した。
努力しても試験の成績は伸びず、( )思いをした。
かわいたのどを冷たい水で( )。
問題3 ___の言葉に意味が最も近いものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
事件の動機はありふれたものだった。
彼はあくまで裁判で争うつもりだ。
彼らは私をかいかぶっている。
委員会は委員たちのコンセンスルを得ないまま終了した。
私は彼のさっぱりした性格が好きだ。
すでに大企業がしのぎを削っているので、中小企業に勝ち目はないだろう。
問題4 次の言葉の使い方として最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
承認
偽装
フル
心地
終始
底をつく
問題5 次の文の( )に入れるのに最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
疲れていた彼は、ベッドに横に( )なり、いびきをかき始めた。
この仕事を任せられるのは、彼( )ほかにはいない。
風があるため、書いた( )原稿が飛んでしまった。
そのカエルは絶滅したか( )、森の奥で数匹が発見された。
人がわかってくれ( )くれ( )、自分の信じた道を進むまでだ。
彼の犯行は残忍( )として死刑が宣告された。
このドラマはフィクションで、事実に( )作られたものではありません。
この歴史大作は、日本の映画史上まれにみる150億円の製作費と5年の歳月をかけてついに完成する。
彼は社長である以上、今世界を騒がせている会社の不祥事を自分は知らなかった
( )。
政権交代が起こった以上、高速道路の建設の中止は承諾( )。
問題6 次の文の_★_に入る最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
この車は、砂漠や山道のような ★ 性能を持っ
ています。
今回は失敗する可能性が ★ 実験は続けるつ
もりだ。
翻訳というものは、 ★ なおさらだろう。
今月の売り上げ ★ ことになりそうだ。
昨日見た映画は出演者たちの演技も ★ とても感動した。
問題7 次の文章を読んで、(41)から(45)の中に入る最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
文章を書くという行為は、けっして初めに書く内容が決まっているわけではない。テーマに刺激されたり、メモをとったりして考えがまとまってくる。
人は「(41-a)ことを書く」のではなく、「(41-b)ために書く」のである。書くという行為を通してこそ、人は自分の考えを前へ進めたり、新しい考えを示したりすることができる。逆に言うと、考えがまとまらないとか、考えが進まないというときには、書いてみるのが一番なのである。しかし、(42)、人はなかなか書こうとしない。面倒くさいからという理由だけで、書こうとしないのである。(43)、人は、書かなければならないという状況に自分を置く必要がある。
実は、これは、書くことだけに(44)。一般に、「実現する」というのは、心の中にすでにあるものを外に表すことだと、とらえられているようだが、実は、表現するという行為を通して、心の中にあるものが(45)。作曲にしても、絵画にしても、研究発表にしても、その製作過程を通して、自分が変化していることを実感できるし、それがまた、表現することの面白さなのである。
41.
42.
43.
44.
45.
問題8 次の(1)から(4)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
(1) 液晶画面で見るいわゆる電子ブックも、今のところ紙で出来た本にとってかわるほどの勢いはない。たしかに書籍の出版は、世のデジタルな進歩だけでは 追いつけないものを持っている。書かれた中身だけが「本」ではないのだ。装丁はもちろん、手に取ったときの感触やにおい等のデジタルなものにない物理性 や、または目に見えないこだわりもそうだ。一冊の本は紙で出来たひとつの表現なのだ。 しかし、そう考えると逆に、別に①「本」である必要のないものが本になって出回っているきがしないでもない。本屋で平積みになった新刊を眺めていると、表現である以上に紙で出来た商品に思えてしまう時が多いのだ。 (近田春夫『僕の読書感想文』国書刊行会による) |
①「「本」である必要のないもの」とはどのような本のことか。
(2) 人は生まれ育った環境こそが自然だと感じるもので、成長したあとに現れた新しい技術には違和感を抱くものである。例えば、新幹線は東京・大阪間を8 時間から3時間に縮めた。これに対して当初は、あまり早すぎるのもよくない、旅はもっとのんびりするものだ、という批判が起きた。しかし、江戸時代の人に 言わせてみれば、東京と大阪は15日かけて歩くのが普通だと言うだろう。 我々は新しい科学技術に対して最初は衝撃を覚え拒否するが、時間が過ぎると、それがあたかも昔からあったかのごとくに使いこなし受け入れていく。①それが人間であるゆえんなのだ。 |
①「それ」は何を指しているか。
(3)
職場というのは、本当に不思議な存在だと思います。家と同じように、「いってらっしゃい」といって送り出し、「お帰りなさい」といって迎えてくれる職場もあれば、お互いに声をかけることなく、誰がいつ出社したのか、退社したのかさえわからない、そんな職場もあります。
人が集まれば、そこになんらかの感情の交流が起こります。お互いによい勘定を伝え合うことができれば、職場が家庭のように自分が帰る場所、自分の居場所になっていくのに、負の感情が連鎖してしまうと、自分を追い詰める場所、関わりたくない場所に変わってしまいます。
(高橋克徳「職場をイキイキさせる方法」『本2009年10月号』講談社による)
筆者のここで最も言いたいことは何か。
(4)
田中産業株式会社
代表取締役 田中太郎様
斉藤伝記
中山 康弘
拝啓
時下ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
さて、先日はご多忙の中、ご丁寧にお見舞い状をいただき、まことにありがとうございました。
入院期間中、御社には大変ご不便をおかけいたしましたこと、お詫びいたします。今後とも、末永いお取引を賜りますよう、よろしくお願いいたします。 営業車を運転している際にトラックと衝突し、「右足骨折、全治2ヶ月」との診断でしたが、来週から会社に復帰する予定でございます。復帰後改めてご挨拶に 参りたいと存じますが、まずは書面をもちましてお礼申し上げます。
敬具
この文書は何のために書かれたものか。
問題9 次の(1)から(3)の文章を読んで、後の問に対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
(1) 最近は、テレビのコマーシャルにクラシック音楽が盛んに登場して、しかもそれが驚くほど新鮮な魅力を持っていたりする。しかし、こうしたことがすぐに①クラシック音楽の普及につながるなどと考えない方がいいだろう。 クラシック音楽は難しいという人は結構多い。彼らが口をそろえて言うのは、局が長くて途中で退屈してしまう、暗く閉ざされてコンサート会場で長時間 物音ひとつ立てずにじっと座っているのは苦情だ、ということだ。このことは、つまり、クラシック音楽というのは、長い曲を聞き通すこと、それも何かをしな がらではなく集中して曲全体を聴き通すことであり、旋律やリズムあ音響といった現象的な快楽にとどまらない、総合的でドラマティックな体験であるというこ とを示している。もちろん細部が全体に劣るわけではない。だが、②曲全体という世界の中に位置づけられることで、細部は、それだけで存在する以上の意味を持つことができる。 しかし、コマーシャルの15秒のクラシック音楽は、そういう体験にはほど遠い。それはたしかに作品の一部には違いないが、その向かうに作品全体を暗 示することのない、むしろ作品という根から切り離された、個別的で快楽的な現象である。だから、コマーシャルにクラシック音楽が続々と登場し、それが感動 を誘っているとしても、かならずしもそれで人々が容易にクラシック音楽に導かれるとは考えないほうが良い。ともかく、こうしたことは、音楽の受け止め方が 変質しつつあることを示しているのではないだろうか。 (岡田敦子『永遠は瞬間のなかに』作品社による) |
①「クラシック音楽の普及につながるなどと考えない方がいい」と筆者が考える理由は何か。
②「曲全体という世界の中に位置づけられることで、細部は、それだけで存在する以上の意味を持つことができる」とあるが、どういうことか。
クラシック音楽について、筆者の考えに近いものはどれか。
(2) 大きなものから小さなものまで、東京には数え切れないほどたくさんの公園がある。私はもともと草や樹が好きだったので、公園で時間を過ごすのも楽しかった。 ところが、いつからか、公園の中をのんびりと歩けなくなっていた。まるでラッシュアワーの駅のプラットホームのように、せかせかと歩く自分に気付 き、もっとゆっくり過ごしてもいいんじゃないかと自分自身に言い聞かせてみるのだが、それができない。なぜか?と考えても理由はわからなかった。周囲を眺 めると、花壇を囲んだブロック、丸く刈り込まれた樹木、歩道を固めたコンクリート、街灯、箒で掃除した跡……、人の手が入ったところばかり、やたらに目に ついてしかたがなかった。無理に緑の木々を眺めていようとすると何だか白けてしまって、5分も続かない。これが公園嫌いの始まりだった。 公園は、目的など持たずに時を過ごす場所として、木々や草原を柵で囲っている。私にはそれが庶民に配給されたもののように思えてならなかった。必要 な意味のある建物を作った残りの部分をほんの少しだけ分け与えられた土地、そこでゆったりとした時間を過ごして元気になったら、さあ、次は街の中へ戻って 働くなり勉強するなりしなさいと、だれかに命じられている気がした。 そう思うと、今度は、自分の①暮らしが、ばらばらに分断され人工化されていることに気付いた。自分の部屋、毎日利用する食堂やレストラン、喫茶店、図書館、映画館など、私はそれあらを行ったり来たりして生活している。「いいじゃないか、電車を使うほど広い家に住んでいると思えば。」という考えは、私には、気休めにしかならなかった。 私の公園嫌いは、( )。 (中沢けい『往きがけの空』河出書房新社による) |
筆者の公園嫌いになったのはなぜか。
①「暮らしが、ばらばらに分断され人工化されている」とあるが、どういうことか。
( )に入る言葉として最も適当なものはどれか。
(3) 交通信号の赤を見ると、私たちは止まらなければなりません。青を見ると、進めという意味に理解します。もしそのときに、赤信号が、「止まれ。」とい う意味以外に何か私たちの感覚や感情を刺激するものを表すなら、事故が起きてしまいます。ですから、信号に対しては、否応なしに「一か、ゼロか」、あるい は「Aか、非Aか」というデジタルな捉え方をしなければなりません。さもなければ秩序が乱れてしまいます。このように、日常生活においては、①コトバが信号化することは確かなことです。 たとえば私が、「コップをください」と言ったときに、皿が来たら困るわけですから、「コップ」という語はとにかくコップという物を指す信号であり、「皿」という語は皿を指す信号であるわけです。しかし同時に、私たちは、経験的に②そうではないコトバがあることを知っているのではないかと思うのです。 つまり、舞台で演じる人の表情や動作、音楽とか絵画とかと同じように、聞くたびに読むたびに、そのつど新しい意味を与えられる、そういうコトバのこ とです。あるときは人のコトバに感動し、またあるときは激しく傷つけられる。こういう二度と味わえない体験を引き起こすコトバがある。そこに込められた複 雑な感情を私たちは、そのコトバのイントネーションや声の調子などから感じ取ります。これは非常に重要なことです。文学や哲学の作品に、私たちが体験の一 回性を読み取るのは、そういうコトバで書かれているからにほかならないのです。 (丸山圭三郎『フィティシズムと快楽』紀伊國屋書店による) |
①「コトバが信号化する」とあるが、どういうことか。
②「そうではないコトバ」とは、何のことか。
この文章で筆者が言いたいことは、どういうことか。
問題10 次の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
ハチドリという鳥を知っているだろうか。鳥のうちでいちばん小さく、体長わずか3センチという昆虫のような種類さえある。小さな巣を作って、豆粒ぐ らいの卵を産み、花の蜜を食物にしている。小さな翼をブーンを振わせ、飛びながら花の蜜を吸うハチドリを初めて見た人は、何か童話の世界にいるような気が するに違いない。 でも、この島はこの現実の世界に生きている。①こんな小さな鳥が生きているということはそれ自体が不思議である。なぜなら、こんな小さな鳥は生きていられるはずがないからである。 鳥は我々同じく、温血動物つまり恒温動物である。体温は外気と関係なく一定に保たれている。それが保てなくなったら、人間が凍死するのと同じように 死んでしまう。ところが、体がこんなに小さいと、体積にくらべて体の表面積が著しく大きくなる。つまり、体温を保つのに必要な熱を発生する体の大きさの割 りに、熱が逃げて行く表面積が大き過ぎるのである。そこで、ハチドリが生きていくのに必要な体温を保つには、体の表面から逃げていく熱を絶えず補っていな くてはならない。そうでないと体温はたちまち下がってしまう。 ハチドリは熱帯にいるから、そんなことはないだろうと思う人もいるかもしれない。しかし、実際②ハチドリの「経済状態」、 つまり食べもの(収入)と体温維持のための熱発生(支出)の関係を調べてみると、入るそばから支出されて行き、何とか収支が合うようにできていることがわ かる。収入が断たれたら、数時間のうちに倒産してしまう。つまり、食べるのをやめたら、たちまち熱発生も止まり、体温が降下して、凍死してしまうのであ る。 ハチドリも夜は木の枝にとまって眠らなければならない。毎日12時間近く食べずに過ごすわけである。本来なら、この間にエネルギーの蓄えが尽き、体温降下と凍死を招くはずである。にもかかわらずハチドリは、何万年もの間ちゃんと生きている。なぜか。 それは、彼らが毎晩冬眠するからである。熱帯の夜はけっして暑くない。気温は20度を割ることさえある。ハチドリは夜が来ると、温血動物であること をやめる。体温調節をやめて、爬虫類のような冷血動物になってしまうのだ。体温は一気に気温のレベルにまで下がる。呼吸もごくわずかになり、筋肉も動かな くなる。だから、夜、眠っているハチドリはかんたんに手で構えられるそうである。そして、朝が来て気温が上がると、ハチドリの体温も上がる。体温が一定の 温度を越すと、ハチドリは目覚め、恒温動物となって、花の蜜を求め、飛び立つんである。 ③そんなわけで、この宝石のように美しいハ チドリは、一年中長雨の降らない、昼は一年中気温が高くしかも夜はかなり冷える土地、主に中南米の一部にしか住めないことになる。もし、中南米の気候が変 わって、雨が多くなるが、冬ができるか、夜も暑くなるかしたら、そのどの一つの変化によってもハチドリは滅びるだろう。その誕生とともに持って生まれた遺 伝的仕組みと環境とが矛盾するからである。 (日高敏隆『人間についての寓話』平凡社による) |
①「こんな小さな鳥が生きているということはそれ自体が不思議である」のは、なぜか。
②ハチドリの「経済状態」とは、どういう状態か。
③「そんなわけ」とは、どういうことか。
この文章から、ハチドリについてわかることはどんなことか。
問題11 次のAとBは、大学入学時期についての記事である。後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
A 日本では、姓は一つの家族のまとまりを示すものである。だから家族が皆同じ姓を名乗ることで、連帯感を感じることができる。結婚して、好きな人と同 じ姓になることはうれしいことだし、結婚したという実感がわき、共に新しい家族を作っていこうとする大事な契機にもなる。夫婦の大半が男性の姓を名乗るこ とは差別ではないかという主張もあるが、それは差別ではなく「慣習」である。欧米のように、ファーストネームで呼び合う文化とは異なり、名字で相手を呼ぶ 習慣の日本では、夫婦が同姓であることの社会的意義は、はるかに大きいと思われる。もし、姓が変わることが女性の仕事に不都合となるなら、仕事の時だけ旧 姓を使うことを認めればよく、多数が満足している現状を変える必要はないだろう。 B 夫婦が別々の姓になると「家庭が崩壊する」という人もいるが、家族を不幸にしようと思って別姓を選択する人などいない。むしろ姓が違うからというだ けで、家族のつながりを感じられないことが問題ではないか。夫婦別姓となれば、何らかの事情で母親や父親と名字が違う子供が差別されることも少なくなるだ ろう。また、現在は、女性は旧姓だと独身、改姓すれば既婚、また旧姓に戻れば離婚したことも明白だ。これは女性のプライバシー侵害につながりかねないが、 男性にはそういった心配が少ない。さらに、仕事を持つ女性が名字が変わったことを取引先などに知らせるには、電話代や葉書だい、本人の労働時間など、多大 なコストがかかる。夫婦同姓が日本の文化や習慣だという意見もあるが、文化や習慣は時代と共に変化するものである。女性の選挙権や社会進出にしても、その 当時の慣例を打ち破ってきたものであったはずだ。 |
夫婦別姓について、AとBはそれぞれどのような立場をとっているか。
姓に関連して、AもしくはBの一方でしか触れられていないことはどれか。
夫婦同姓について、Aの筆者とBの筆者に共通している意見はどれか。
問題12 次の文章を読んで、後の問に対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
「希望」とか「絶望」とか、あるいは「後悔」とか、そういう言葉を心理学辞典で引いてみたことがあるだろうか。そんな日常的な言葉などわざわざ引く までもあるまいと思うかもしれないが、実際、心理学辞典をいろいろ見てみたら、そもそもそういった項目がのっていないのである。そんな言葉は国語辞典の領 分であって、心理学の辞典にのっていなくても当たり前だということだろうか。しかし、①それは変ではないか。私たちの日常の心理現象の中で希望や絶望、未練や後悔は大事なもので、だれにとっても非常に大きな問題であるはずだ。それが心理学の辞典にのっていない。つまり、心理学の対象にされていないのである。それは、なぜか。 一つは、人を外側から捉えようとする②視点の問題が ある。つまり、現代心理学は、いわば「他者の心理学」に徹している。かんたんに言えば、子どもの発達を研究するとき、子どもの外に視点を置き、そこから子 どもに「生後何歳何カ月」といった時計的な時間の物差しを当てて、その育つ過程を観察する。しかし、そうした見方からは、子どもが昨日の体験を抱え、明日 に向かって、今を生きるという、子ども自身の主体の世界は見えてこないのではないか。 だれもが生まれてから死ぬまで、時の流れの中を生きている。その時の流れの中に身を置いた視点からしか見えてこない主体の世界がある。それを研究の 枠から外しておいて、人間の心をとらえることはできないのではないか。私はそう思う。だが、主観の世界などというあいまいあなものは相手にしないという立 場をとる現代の心理学は、結局、外から客観的に観察することの可能な「他社の心理学」に徹して、そこから出ようとはしない。とすれば、そこでは希望とか絶 望とか、そういう概念が問題にならないのは当然だろう。 もう一つは、科学そのものの問題である。自然科学は現在の「現象=結果」を過去の原因に結び付け法則化する学問である。心理学も科学である以上、こ の「原因⇒結果」の枠組みから逃れられない。現在の心理をすべて過去によって説明しようとする。しかし、そうなると、私たちの心的世界の多くを占めてい る。「明日」とはいったい何なのだろうか。人間を外から観察して未来を予測するだけならそれでいいかもしれない。しかし、その人間を内側から見たとき「明 日」は単なる予測の対象などではない。明日は、私の中で希望として、絶望として、あるいは不安として、期待として現象するのだ。 こうしてみれば、③心理学辞典に「希望」がないわけははっきりする。今の心理学が「希望」を語る枠組みを持っていないからにほかならない。生物学辞典のどこを見ても「希望」がないのと同じなのである。 (浜田寿美男『意味から言葉へ』ミネルヴァ書房 による) |
①「それは変ではないか」とあるが、筆者は何が変だと言っているか。
②「視点の問題」とあるが、どういうことか。
筆者は、③「心理学辞典に「希望」がないわけ」は何だと言っているか。
この文章で筆者が言いたいことはどれか。
問題13 右のページは、フリーマーケットの出店案内である。川本さんは、このフリーマーケットに出店したいと思っている。下の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
李運博さんは、さくら市にあるIT関連企業に勤める外国人で、昨年日本人女性と結婚し、さくら市の近くの町に住んでいる。李さんがこのサイトを通して、さくら市に苦情の申し立てをする時には何が必要か。
李さんが、このサイトを通して苦情を申し立てても、苦情が処理されないものは、次のうちどれか。